「一万人に会って互いの想いを拡げる」という挑戦について

1万人に会う――約10年の時間を見据えた人生の挑戦

いま、私は「1万人に会う」という挑戦をしています。
そうやって色々な人にSNS上などで声をかけると、「面白い取り組みですね」とか「どうして1万人会おうと思ったんですか」など驚きの声をもらうことが多いです。

確かに、数字だけを見ればとてつもない挑戦です。
たとえば、毎月100人ずつ会っていっても1年間で1200人、1万に会おうと思えば約10年かかります
しかも、ただ挨拶を交わすだけではありません。

1人あたり30〜60分ほどかけて、
その人のこれまでの人生や、価値観、夢、葛藤、選択してきた道のりなどに耳を傾けます。
まるで物語をひとつずつ紐解くように過去の経験を聞き、新しく物語を描くように未来への想いを聞く時間です。

ときに笑い、ときに沈黙し、ときに涙する──
そんな密度の濃い対話を、日々繰り返しています。

そして、この挑戦のなかで出会った方々は、
私にとって“通りすがりの1人”ではありません。
むしろ、互いの人生にとって、かけがえのない存在になるような時間になることもあります。

だからこそ、この挑戦はただ「会う」だけではなく、「互いに想いを拡げて、繋がりも拡げていく」ような旅だと感じています。

始まりは師匠の放った一言から

「お前、1万人に会ってこい。お前の作品をより深くするには、もっと人を知るべきだ」

この言葉をくれたのは、社会人になってからお世話になり続けている作家の師匠でした。
理由はこれ以上聞いていません。

でも、即座に「やってみよう」と思いました。
師匠がやるべきと言ったのだから、やる理由はそれだけで十分でした。

私にとって、師匠は実績もありずっと業界の中で残り続けられている人なので、作品づくりに関しては僕よりも知識や経験が圧倒的に上です。
そんな人が必要だというのだから、疑うよりも、考えるよりも、まずやってみる
それがこれまで、私を前に進めてくれたスタンスだったからです。

「とりあえずやってみる」
この考えは、一件何てことはない考えのように思えますが、大人になればなるほどこの考えを持ち続けることが難しいと思います。

そして今、振り返って思うのです。
やってみたことで、見えてきたものや得られたものは想像以上に大きかったと。

私は普段、映像の脚本を中心に、物語を描いています。
いわば「人の生を描くこと」が、私の仕事です。

ですが、あるとき、自分の書くキャラクターたちが動かされているように感じた瞬間がありました。

どれだけ細かく設定を作っても、
どれだけ緻密にセリフを練っても、
ふと気づけば、そのキャラクターたちは私の都合で動いているだけでした。

「こうした方が面白い」
「ここで泣けば感動する」
──そんな計算が、キャラクターの魂を奪っていたのです。

「これはもう、キャラクターに対して失礼なんじゃないか?」

そんな思いが湧きました。

私は、リアルな人間を描けていなかった。

実際の人を知らなくてもフィクションなら書けると思い込んでいた。
しかし、その考えが大きな間違いでした。

ならば、まずはリアルな人間と出会い直さなければならない
そう思ったことで、1万人に会うこの旅の意味を最初に見つけた瞬間でした。

人と会う中で新しく見えてきた世界

50人、100人と出会いを重ねるうちに、
当初とはまったく違う感情が芽生えてきました。

出会った人たちの目の炎が揺らいでいることに気づきました。過去の話を語るときの目の輝きと未来について希望を持って語るときの目の輝きと、違いがある人が多いことに気づきました。

「この人、もっと夢を見たかったんじゃないかな」

そんな風に思う瞬間が、何度もありました。

「昔は俳優を目指していたんです」
「学生の頃は起業したくて…でも、まあ、現実がね」
「あの頃が人生で一番楽しい時期でした」

そう口にする人たちの表情は、なんとも形容しがたい、複雑な感情が入り混じったような表情でした。
そこには自分の感情に素直になりたい気持ちと大人になり切ろうとする気持ちが共存している気がしました。

「大人になりなさい」

この言葉は僕も何度も浴びせられたことがある言葉で、「大人になる」とは一見良いように聞こえる言葉ですが、人の可能性を奪い、聞き分けの良い大人を増やすだけのようにも感じます。

こうして私は、次第に思うようになりました。

「この人が本当に輝ける未来の物語を、一緒に考えたい」

人生に正解はない――だからこそ自由に未来を描けるような時間に

フィクションと違って、実際の人は自分の物語を見失うことがあります。
物語に登場する緻密にプログラムされたキャラクターのように常に同じ価値観を持って行動する人は多くありません。むしろ、自己矛盾は誰にだって起きるもの。

特に、大人になると「今さら」「もう遅い」と、自分でページを閉じて描くのを辞めてしまう。

でも、どんな物語だって、続きは書けるんです。
どんな一説からでも、再スタートは切れます。

だから、私はこんなふうに問いかけています。

「この先の理想のイメージはありますか?」

理想――それは出来るかどうかではなく、自分が思いつく限り最大限の好ましい状態。

人生にとっての理想が何か、出来るかどうかのフィルターを外すことで見えてくる世界があると思います。問いを立てることで、考えてみることで、知らなかった自分の意思に気づくことが出来ます。

私は作家として、あなたの人生の続きを一緒に描ける存在でありたい。
それが、私がこの挑戦を続けるもう一つの理由です。

子どもが夢を見られるように、まずは大人が夢を持つ

この挑戦の先にも、私のミッションがあります。

それは、「子どもが夢を見られる社会をつくる」ことです。

けれど、子どもは大人の姿を見て育ちます。
夢を笑う大人、諦めきった大人、現実だけを語る大人を見て、
子どもは無意識にこう思うのです。

「夢って、大人になったら持てなくなるものなんだ」

「馬鹿な夢は持たずに、早く大人になった方がいいんだ」

だから私は、まず大人の夢に火を灯したい
夢を語れる大人が増えれば、
きっと、それを見て育つ子どもも夢を信じられるようになるはずです。

1万人に会う――この数字の裏には一人一人の人生がある

1万人というと、ものすごい数に聞こえるかもしれません。
でも、私にとってこの数字は、ただの統計ではありません

「1」という数のひとつひとつに、ひとつの人生がある
夢があり、挫折があり、喜びがあり、諦めがあり、願いがある。

笑って過ごしてきた日々もあれば、
言葉にできないまま抱えてきた想いもある。
そのどれもが、確かに「生きてきた証」だと思うのです。

だから私は、数字ではなく、物語として向き合いたい。
どんなに時間がかかっても、
その人が歩んできた道のりに、ちゃんと耳を傾けたいのです。

なぜなら、その中には、
もう一度人生を動かしたいと願っている人がいるから

最後に

このブログをここまで読んでくださったあなたに、ひとつだけお聞きしたいことがあります。

「あなたの物語は、どこで止まっていますか?」
「そして、もし続きを描くとしたら──何を書きたいですか?」

もし、少しでも「話してみたい」と思っていただけたなら、
それはきっと、物語が動き出す合図かもしれません。

あなたの話を、ぜひ聞かせてください。
一緒に、続きを考えていきましょう。