覚醒の兆し、能動的な自分へ(高校生編)
小学生~中学生編に続き、高校生での経験についてエッセイ風に話していきます。
エッセイ風にしているのは、なんとなくです笑
まだ読んでなければ、試しに読んでみてください
キャプテンになった日、世界の見え方が変わった
中学の頃、僕は逃げていた。
野球は面白くなくなった。
サボるのが当たり前。
早退も欠席も普通。
本気にならない方が楽だった。
だから高校でハンドボールを始めたのも、
最初はそこまで熱い理由じゃない。
兄がやっていたから。
なんとなく。
とりあえずやってみよう。
そのくらいだった。
恵まれないからこそ、進化できた
僕たちの顧問は、ハンドボール初心者だった。
だから、何も決めてくれなかった。
ポジションも、練習メニューも、戦術も、試合中の判断も。
全部、自分たち。
周りは恵まれていないと言う。
でもそうは思わなかった。
むしろ最初は顧問がいない事に居心地の良さを感じていた。
練習も自由な雰囲気が凄く居心地のいいモノだった。
その自由な環境は次第に僕や周りの思考を変化させていった。
一番の違いは思考の習慣にあった。
良くも悪くも野球というスポーツは、規律を大切にし、 練習の時であっても監督や顧問の指示を全うすることが求められる。ホームランを打った友人がサインを無視したという理由で交代させられたこともあった。
でもハンドボールは違った。
サッカーやバスケと同じようにプレイ中も一瞬一瞬の判断が求められるだけでなく、僕の高校にはちゃんとした顧問やコーチがいなかったから、自分たちで思考して試していくしかなかった。
考えないと勝てない。
この違いは僕自身の思考の習慣を大きく変えた。
この練習は何のため?
このフォーメーションは機能する?
どうすればこの相手を止められる?
正解のない問いが、常に自分の傍にある。
一年のときは、ただ新鮮で楽しかった。
でも二年になり、僕はキャプテンになった。
練習の有無、ベンチメンバーの決定、新しい戦術の考案や課題に合わせた練習メニューの確定
どれも初めて経験するモノだったが、正解のない問いに対する追及は僕にとって非常に心地いいものだった。

本能と理性がかみ合っていた
振り返ると、高校時代はハンドボールと受験勉強以外の記憶はあまりない。
それなりに学校行事は満喫していたと思うが、印象に残っているのはその二つだった。
特に部活を引退するまではハンドボールのことしか頭にないくらい、集中していたように思う。
どうしたらもっと勝てるようになるのか、どうしたらもっと勝てるようになるのか、そればかりを考えていた。体育祭や文化祭、合唱コンクールといった周りが盛り上がっている学校行事が、邪魔な存在に思えるほど。
合唱コンクールの際に、クラスで指揮者をやっていたのだが、クラスでやっていた朝練も放課後の練習もほとんど出ずに、部活ばかりをしていて女子から怒られたことも覚えている。
ただ、そんなことが気にもならないくらい、夢中になっていた。
考えると理性だけでなく、本能が集中していたんだな思う。
思考をする楽しさ、ハンドボールをしたいという本能とキャプテンとしての責任感やチームが勝つにはどうしたらいいかという理性が完全に同じベクトルを向いていた。

高校生を通して培った自走する習慣
高校時代は、ハンドボールや受験勉強を通して目的に対して自分なりの答えを考えながら思考し、試行するという習慣が身に付いた。
社会に出てから指示がないと動けない人やアドリブが利かない人とも多く出会った。そういう人たちがダメという訳ではなく、個性であり、特徴であると思う。
ただ、僕自身は自分で答えを導き出す、そのために思考するという習慣が好きだ。
独立した今でも、セオリーは求めても正解は求めない。
自分なりに考えて、試して、成果を得ることに一番の楽しさを見出している。
まさに、「守・破・離」だ。
僕は物語を書いている。
仕事としてたくさんのキャラクターの人生を描いている。
たくさんの人の人生に寄り添って、その人なりの考えを聞いている。
そんな僕が思うのは、
人生には正解がない。不正解もない。
だからこそ、どこまでも自分が納得のいく正解を求められる。
自分がどのように生きたいのか、どんな人になりたいのか、どんなことをしたいのか
そこを探し求める旅路こそが人生かもしれない。